ライフ・イズ・ビューティフル

ロベルト・ベニーニ監督・主演。

前半と後半で大きく展開が変わる作品だった。

前半は、これぞイタリアの男、といった主人公グイドが、後の妻ドーラと出会い、結婚するまでの話。

もうとにかくゆるい。あれ?これ戦争の話じゃなかったっけ?

グイドめっちゃ喋るやん。どんだけ口回るのよ。

あと、お調子者と言うのにもほどがあるよ。帽子の件とか犯罪やん?笑

でも、どこか憎めない。あんなに無茶苦茶なことしまくっているのに。まあ、周りにいる人は楽しいんだろうけども。

そんなこんなでグイドはドーラを射止め、1人息子、ジョズエとともに楽しく生活している。なんてほのぼのしているんだろう。このままハッピーエンドで終わればいいのに。

というわけにはもちろんいかない。時は第二次世界大戦の真っただ中。ユダヤ人であるグイドは、その血を引くジョズエとともに、強制収容所に連行される。残された妻、ドーラも自ら志願して同行。

このあたりからもうすでに悲しい。かつて、惚れた女を落とすために駆使した口を、後半では、ジョズエが劣悪な環境に絶望してしまわないよう、必死になって使う。

「これはゲームだ!1000点集めたら戦車に乗ってお家に帰れるぞ!」

これがどれほどジョズエを勇気づけただろうか。

さらに、1人息子の安否を案ずるドーラに対しても、兵士の目を盗み、ジョズエの声をスピーカーに流すことで、その心配を取り除いてやろうとする。

こうして、グイドは3人分の不安を1人で背負う。大の男が追い込まれるほど過酷な環境なのに、その不安を3人分も背負い、家族を守ろうとしたグイドの心境はどんなものだったのか。

常に明るく振舞っていたグイドにも、一瞬絶望の顔を覗かせる場面がある。

それは、給仕をしていた時に知り合った、なぞなぞ仲間の医者で、今は、ナチスの軍医をしている男とのシーンである。

収容所で再開した2人は、「大事な話がある」と、周りの隙を盗んで話をすることに。

「ここから出られるかもしれない…」そうかすかな希望を抱いたグイドに、軍医が話した「大事な話」とは、友人の医者から出されたなぞなぞのことだった。

どうしても答えがわからず、眠れない。頭の回転が速いお前ならわかるだろう。とのことである。

ここで激しい怒りを覚えた人は私だけではないはずだ。そんなに眠りたいならずっとおねんねしてしまえばいいのに。

ここで現れたグイドの顔は絶望感に包まれていた。かつてのお調子者はそこにはいなかった。

そうこうするうちに、戦争は終わりを告げる。

しかし、外では激しい銃撃戦が。

どうやらすべてを消すつもりらしい。

このままでは死んでしまう。そう感じたグイドは、ジョズエを逃がすべく、激しい銃撃戦の行われている外へ。

ジョズエを隠し、さらにドーラに消されるという事実を伝えるため奔走する姿、そして、最後の最後までお調子者であり続けたグイドは、もはや、少し自分勝手にも思えるイタリア人ではなく、ただ家族を守り続けた、立派な父であった。

今日という1日がより楽しくあるために、強く生きて行かなくてはならないなと思わされた。戦争って絶対ダメ。自殺も絶対ダメ。

最後に。あの軍医だけは絶対許さない。日本風に言うならば、とにかく空気の読めない男だった。